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思い込んだら出家の道を

キャリーケース(道ゴロゴロタイプ)は使わない(笑)というのは、出家の戒律みたいなものです(違うか)。

Mサイズでさえ約60リットル、40✕25✕55=55000立方センチメートル(0.055立方メートル)だそうで、過去何個売れたのだろう?と調べてみたら、販売個数は不明で、市場規模は60億米ドル超(2023年)。さらに上昇傾向。

1個100ドル(安め設定)としたら、60,000,000(6千万)個。

え、一年で???

1年間に売れたキャリーケース(Mサイズのみを想定)の空間占有体積は3,300,000立方メートル。全部積み上げて、富士山と同じ高さ(約3760m)にしたら、その裾野の直径は2.6km超--

それくらいの巨大な山ができてしまうらしい。一年で! 

(※なお、計算が正確かどうかは限りなく怪しいので、「そういうことにしておきます」にしておいてください(笑))。

キャリーケースが売れ始めたのは2000年頃からだとか。以来25年間、多くの人々がキャリーケースを買い込み、ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ ・・・。

(お願い:たぶんこの場所にも、多くのキャリーケース利用者・愛好者がいると思うので、まあここは、出家の戒律=ひねくれ者のレアなこだわり程度としてお聞きください笑)。

しかもプラスチックから、ジュラルミン、ABS樹脂へと、作りはますます頑丈路線になりつつあるとか。要らなくなったら、どうするの? リサイクルできないじゃないの。

これ、人類が滅びた後に、キャリーケースの残骸が夥しい数と規模で残るのだろうなあと想像してしまいます。何百億、いや何千億個に達しているかもしれない空洞の物体が累々と・・ジャマ(誰目線?)。

出家の流儀としては、なるべく小さく、自分がいなくなった後にも循環できる、自然に戻せるものが望ましい。背負って運べる量と重さで旅をして、もはや背負えなくなったら、それは自分に不相応・不必要なものとして手放すべし。そんな思いでいます(小心者にして貧乏性の出家個人の見解です笑)。

だから今回もサンドイッチマン。バカでかいインドの空港を2本の足で歩いてます。これぞ人間の証。負けてなるものか・・(誰に?)。

さすがに歳を取ってリュックを背負って後ろに倒れたり、前のめりにコケたりするようになったら、その時は考えます。

それまでは、思い込んだら試練の道を・・(昭和生まれの出家です)。



上の物体はミイラ・・ではなく黒リュックです。詰め込んでも重さ20キロ行くかどうかくらいなので運べます。帰りは左の緑のリュックを畳んで黒リュックに入れるので身軽になります。いずれも機内持ち込み可能なサイズです。



2025年2月

それでいいのだ


午後3時を過ぎると、ノブが私の部屋にやってくる。教科書と筆記用具を持って。今年は4歳になったチヌ(ラケシュの姉チャヤの一人娘)も加わった。

英語やヒンディー語、算数は2段の四則計算。英語の読み方や簡単な計算方法なら、私も教えることができる。だが難しい内容になると、英語で説明しても伝わらないし、マラティ語は私が話せないしということでお手上げになる。

今は翻訳アプリが使えるので便利になった。だがマラティ語訳をスマホ越しに見せても、二人は興味を示さない。スマホを覗くことより、大人に直接相手にしてもらえることが嬉しい。それが主な目的だからだろうと感じた。

子供が勉強を好きになるのは、大人と一緒に勉強できるときだ。勉強自体が楽しいのではなく、大人がそばにいてくれることが嬉しくて、結果的に勉強が(料理でも運動でもなんでも通用する話だと思うが)好きになるのである。

ノブもチヌも、二人とも勉強が得意というわけではない。どうやらノブは勉強があまり得意でないらしい。器用でないことはわかっていたが、勉強についてはかなりの不得手らしいのだ。

たとえば、「6足す7は?」という問いに対して、鉛筆で6つ点を並べて、さらにワン、ツーと数えながら7つの点を描いて、さらに最初から1,2、3・・・と数え上げて「13」と答えるのである。


「6+7=13」――できる人は、子供であれ大人であれ、瞬時に浮かぶ数ではなかろうか。理屈としては「6に4を足せば10,7から4を引いた残りは3,だから13」といった思考の順序を踏んでいるのかもしれないし、他の理屈もあるかもしれない(みなさんはどうでしょう?)。

こうした計算は、最初は「みかんが6つとりんご7つが並んでいます」的な具象から始まるが、そのうち抽象的に数だけで計算できるようになる。そのうち”計算未満”の概念としての数が瞬時に浮かぶようになる。単純な四則計算も九九もそう。フラッシュ暗算なんて、絶対理屈で計算しているはずがないと思うが、どうなのだろう。

九九は、インドでは20✕10まで覚えるが、これ、抽象的思考の第一歩だ。子供たちは理屈ではなく音で覚える。インドの場合は、振り付け(ダンス)つきで覚える(笑)。8✕8=64と瞬時に音で出てくるようにする。
 
考えてみたら九九で終わる必然的理由はない(笑)
 

やがてもっと高度な抽象性を持った数や数式や記号が出てくる。いちいち理屈で考えるのではなく、思考の前提として使ってしまう。数と記号そのものを一つの言語として組み合わせ、展開して、さらなる抽象的な論理を構築していく。

算数や数学に躓くのは、抽象的思考が追いつかない時だろうと思う。日常レベルの感覚ではわからず、自分が習得した理屈(言語化)では到底追いつかないくらいに高度の抽象性を持つ段階が来る。このときに「???」となるのである。

算数や数学が苦手な子に教えるには、どうすればいいのだろう。そこには、具象から抽象へのハードルがある。そのハードルを越える”言語”が必要なのだ。

おそらく現場の先生たちは、教える手順を持っているのだろう(なければ授業は破綻してしまうはずだ・・)。教え方には個性がある。私が知っている理屈と違う教え方もあるはずだ。

子供が「わかった気になれば」とりあえず成功。たとえば、「マイナスかけるマイナスはプラス」になる理屈を説明できなくても、「とりあえすぞういうもの」と受け入れて計算できるなら、とりあえずヨシのはずである(学校の先生たちに叱られるかもしれないが、私はいまだにその理屈がよくわからない(笑)。まして虚数や複素数の計算を理屈で説明しろと言われたら、完全にお手上げだ。そういうものではあるまいか)。

「とりあえずそういうことにしておこう」というのが、抽象言語である算数・数学を学ぶ際のルールというか心得みたいなものではないか。

「そういうことにしておこう」という割り切りさえ、特に数学においては難しくなってくる。多くの生徒が「?」の壁にぶつかって、躓き始める。

「こういうことにしておきます」という中身を親切に言語化してくれる本や先生が必要なのだろうと思う。学ぶ側としては、「自分がわかる(そういうことにします)と思える」手順を言語化してくれるもの。日常からかけ離れた抽象だけの世界に運んでくれる言葉。

「抽象的思考」に慣れている子(というかなぜかできてしまえる子)が、たまにいるが、どういう思考を繰り広げているのか、私にはいまだに想像できない(笑)。


さて、目の前のノブとチヌ。「こう計算すればいいんだよ」というのを教えてあげたい(さすがに小学生の算数くらいは教えられます笑)のだが、伝えるための言葉がない。そのうちAIロボットが勉強を見てあげる時代が来るかもしれない。言語の壁を越え、しかも抽象的思考を、子供にわかるレベルの言葉で説明できるようになるかもしれない。

AIの進化は悪いことばかりでは当然なかろう。現にこの旅でもグーグル翻訳という“原始レベル”のAIが大活躍してくれている。インドの地方言語に過ぎないマラティ語で話せる時代が来るとは。最初に伝えたのは、「おかゆ作ってください」だったか(笑)。

チヌは、わかってもわからなくても(というか、ほとんどわかっていないらしいのだが)、目をクリクリキラキラさせて楽しそうに過ごしている。こういうとき、大人は焦らずとりあえずそばにいてあげるのが、一番らしい。

勉強ができないイコール悪い、という発想が芽生える前のチヌとノブ それでいいと思います!


二人とも、午後4時から「チューション」(塾)に行く。近頃は多くの子供が塾に通うようになった。夜8時頃までやっている。土曜も日曜も。

だが、無理やり成績を上げようとか受験に合格しようといった切羽詰まった雰囲気ではない。教えることが好きな大人が家の一室を開放して、そこに子供たちが集まってくる。子供たちの年齢はバラバラだ。3,4歳の子供も、お姉ちゃんお兄ちゃんにくっついてやってくる。子供たちにとっては遊びの延長みたいなもの。のんびりしている。

それでも「できる子」は自然に学力を伸ばしていく。言語化の脳内回路を伸ばしていく。このあたりは、どの国でも同じだ。

実際に教室を覗いてみたら、先生(女性)の夫が、同じ部屋のソファに寝っ転がっていた。すぐそばで子供たちが好き好きに勉強して、できたら先生に見せに行くというスタイル。私がカメラを向けたら、おっちゃん即座に起き上がろうとした。いや、寝ていてください(笑)。

起き上がる前に撮っていました。おっちゃん、ごめん(笑)

もう一つの塾の様子
(鉢巻き締めてやっている日本の塾の光景を思い出した。ああやって過剰に煽って疲弊させることのマイナスを考えない社会は、率直に愚かだと思います)。



ノブの勉強を見ていて思ったが、もし大人の側に「〇歳なのにこんなこともできないとは」とか「なんでこんな簡単なこともわからないの?」「こんな状態じゃ落ちこぼれてしまう」「受験に受からない」「他の子はどれくらいできるのだろう?」「この子の将来どうなるのだろう?」「お父さん・お母さんの子供の頃は(できたのに)」といった思いが出てきたら、

子供に向けてイライラや焦りや落胆その他のいろんな思いや感情が湧いてきて、そのすべてが、子供の今を否定する判断となって、子供に「圧」として伝わってしまうだろうと思った。

実際に、そういう野暮で勝手な圧をかけている大人は多かろう。圧どころか、一方的な思いの暴力と化している場面もあるかもしれない。

そうした圧を向けられた時、子供は最初は戸惑い、不機嫌そうな大人の表情を見て、「どうやら勉強ができない自分はダメな子らしい」と察するようになる。自尊心の低下。大人への警戒。最初は単純に「一緒にいるだけで楽しかった」のに。

大人でも否定されることは、つらいものだ。まして「一緒にいることが楽しい」子供の時期に「勉強ができないことが大問題」という判断を突き付けられた子供は、その時点でかなりのショックを受けるはず。

その後、学年が上がるにつれて、あれここれもできなければならないという勉強の量が増えて、でも勉強する理由も、どうすればいいのかもわからなくて、どんどん「できないこと」が増えていく。

それはそのまま、自分が否定されることを意味するから、いずれ「できない自分には価値がないんだ」と思わざるを得なくなる。

かくして自分のことを信じられず、人を信じられない大人になっていく。実際そうなった人たちが、あの国(日本)には多いのではないかと、ふと思う。

「これくらいできなければ」は、大人の妄想。その妄想が、子供への圧力と化していく。だがこれも妄想なのだ。「今、自分は妄想している。妄想して子供を否定しにかかっている」。そう気づける大人であるべきだ。子供を否定する猛毒を、自分の中で増やしてはいけない。意味がないから(だって、どうすればできるようになるか、なぜできなくてはいけないのかを伝える言語を、自分が持っていないのだから)。


ある日、村の子供たちを見ていてふと思った。

子供たちは、純粋に今を楽しんでいる。大人たちや他の子供たちと一緒に過ごす。その中に食事や遊びや勉強がある。どれも「誰かと一緒にいる」ためのメニューでしかない。

遊びも勉強も、子供たちにとっては体験の一つでしかないのだ。やってみたい、やってみる、やってみた、それだけでいい。やってみることの楽しさを味わう。それだけでいい。それが子供時代を生きるということだ。

(※となると、いい大人・先生というのは、「やってみたい」「やってみた」を、自分も同じように楽しめる人をいうのだ。これができれば、子供たちと自然につながることができる。)

やってみて、楽しくて、もっとやりたい、またやりたいと思えば、さらにやってみればいい。

やってみて、できることがわかったら、もっと難しいこともできるかもしれないと思ってさらにチャレンジしてみればいい。

やってみればいいだけだ。そして、やり方を考える。やり方を学ぶ。学んだやり方でやってみて、できるかどうかを試してみる。

そうした時間の連続なら、楽しいだけじゃないか。「やってみる」人生に、苦しいことなんてないかもしれない。まさに子供は、そういう人生を生きている。「やってみる」ことが億劫になったり、別の思惑に取って代わられたりして、楽しめなくなった生き物が、大人なのではあるまいか。

子供たちは、「やってみる」を毎日生きて、笑って泣いて、ときに失敗した時は叱られて素直に反省して、瞬時に過去は忘れて、未来を楽観することで、今を全力で生きている。

しかも未来まで時間がある。そのうち勉強がわかる時期が来るかもしれないし、来なくても、いずれ自分にできることを見つけて、社会の中で生きていければ、それでいいのだ。

素直に今を生きること。それが自然にできる子供って、完璧ではないかとふと思う。不完全に見ているのは、妄想にまみれた大人たちだ。子供は完璧。今のままでいい。「それでいいのだ」。


みんな健康 毎日が楽しそう それでいいのだ




2025年2月

ノブの憂鬱


ノブは今年2月9日に8歳になった。

ノブが“無敵”だったのは、2歳頃だったと思う。人見知りとは無縁で、どこにでも行き、誰に声をかけられても陽気に答える。2階にある私の部屋にも、「バンテジー!」と意気揚々と上がってきた。

そのまま成長していれば無敵の陽気男になっていたかもしれないが、いくつか試練があった。一つは、シタルが村議会選挙に立候補した年だ。どうやらノブは独り家に残された時間があったらしい。その頃の写真に映るノブの顔は、虚ろな目に深いクマができていた。淋しくて泣き腫らした目に見えた。危うさに気づいたのは私だった。

その時の写真とノブが2歳の頃の写真を並べて、ラケシュとシタルに昼間に話をした。幼い子供には、どうしても母親が必要になる。外での活動も大事だが、ノブがもう少し大きくなってからがいい。そう伝えた。



だがノブの憂いは、それが終わりではなかった。なにしろラケシュの長男である。いろんな人が家にやってくる。父親がきわめて高い人格の持ち主で、慈善活動という名の自己犠牲をごく自然にできてしまえる人間であることも、物心ついた最初に知ることになる。

ノブはまだ2歳にもならないうちから、父親ラケシュの手伝いを始めた。村でイベントがあると父親と一緒に手伝おうとする。大人たちが食べた後の器をおぼつかない手つきと足取りで運ぶ。散乱したゴミも拾う。こうした献身を、人生の最初期に始めたのである。

今年の冬は、ラケシュとドライブ中に、交通事故の現場に遭遇したそうだ。大型トラックの車輪にバイクに乗った若者が巻き込まれた。体はバラバラ。胸から下は跡形もなく。血まみれの肉塊が道路に散らばっていたという。

こういうとき、必ず中心になるのがラケシュだ。すかさず警察に連絡して聴取と見分。目も当てられない惨状だが、こんな事態下でも、ノブは平然としているという。「こういう時、何をなすべきかを考えて、行動に移す。それだけ」とラケシュは笑って言うが、父親の動きを、ノブは幼い頃から間近に見ている。

インドの交通事情は悪い。信号がないし、速度規制も無視するし、バイクに乗る人の9割方はノーヘルメットだ(ヘルメットを被っているほうが珍しい)。

事故れば死んじゃうじゃないかと心配するのが筋だが、案の定、事故が多発している。トラックの横転、乗用車の大破、バイクはバラバラ、死体もゴロゴロ(※不適切な表現をお詫びいたします)。

この地では命の価値が低いのではないかとも思うところがある。人口が多いから多少死者が出ても、あまり深刻にならないのかもしれない。「自分だけは大丈夫」というインド特有のミーイズムもあるかもしれない。

だからだろうか、ムンバイの列車は、いまだにドアがないし、屋根の上に乗る連中もいる。譲り合うという精神は皆無だから、乗降は”我先に”。乗るも降りるも自分優先だから、狭いドア、いやドアなしの出入り口は、二つの群れがぶつかり合う壮絶な修羅場になる(※脚色とも言いきれない現場です)。

ちなみに今真っただ中のインド最大の祭りクンブ・メラには、4億人近い巡礼者が集まるというが、数千人の死者が出ているという。海外に伝わる報道は、現地や駅で数十人が死にましたというおとなしめの内容だが、実態はそんな規模ではないという。死者続々。だが誰も意に介さず、あの広大な川べりにブルドーザーで穴を掘って埋めておしまいだそうだ(※ラケシュから聞いた話(笑)。ほんとかどうかわかりません)。

行けば死ぬかもしれないというのに、毎年全インドから群がってくる。そして巻き込まれて死ぬ。現地はWIFIが通っていないから、SNSにも上がらないのだという。いやそれならテレビや新聞で報道するだろうと日本人の私は思うが、なぜかされない。もはや当たり前すぎて報道の価値もないということかもしれないし、ヒンズーの大祭典だから水を差すなということかもしれない。何も考えていないかもしれない。真相は謎。死者数も謎。

話が脱線したが、ラケシュは人間も動物も救ってきた。もう何人助けたかも覚えていない。あるとき、見知らぬ男が家にやってきて、「あなたのおかげで今も生きています」と感謝してきたそうだ。「ぜんぜん覚えていない」とラケシュは笑う。

そういうラケシュと朝から晩まで一緒にいるのがノブである。現実を理解し慈悲をもって動くというブディズムの英才教育と見ても、大袈裟じゃないかもしれない。



そうそう、ノブの憂愁の二つ目は、妹アスカの出現だろう。それまでは世界の中心にいたノブだが、アスカ誕生とともに主役の座を奪われてしまった。野生児(ジャングリ・ムルギ)と化した2歳のアスカは制御不能。ノブのおもちゃを奪い、作った工作を破壊し、馬乗りになって嬌声を上げる。無敵だ。ノブは勝てない。

そのせいかそうでないのか、夜になるとノブはずいぶん大人しくなってしまう。かたわらでまるで酒を飲んだかのように上機嫌に踊ったり叫んだりしているナチュラルハイ(しかも最強度)のアスカの姿を、力ない笑顔で見守っている。

一度だけ、ノブが大泣きして抗議したことが今回あった。紙コップを積み上げて巨大な「バンテジー(私)の家」を作ってくれたのだが、完成した途端にアスカが破壊したのである。なんという暴君。さすがのノブも泣いた。かわいそうなのでバンテジーも参加して、ノブと一緒に塔を作った(最後の写真)。 

幼少期に早くも体験した憂い、と現実を見据える勇気と、一切の執着が許されぬ過酷な(?)環境は、ノブをどんな大人にするのだろう。



2025年2月

消えゆく未来と育つ未来


興道の里(インド支部?)から:

ノブの誕生日パーティ(2月9日)は、タブレットで中継したので、2月1日(スマホ中継)よりは画質・音質とも良かったかも?

一人の子供の誕生日に、家族・近所・友だちがこれだけ集まってくる。当日は村の青年たちがボランティアで風船の飾りつけをやってくれました。

昔の日本の農村にも、こういう共同体はあったのだろうと思います。集会所に集まっていろんな行事をやる(今もあるでしょうが)。

幼い子供たちが多い(ほんとにポコポコ(という言い方は不適切かもしれませんが笑)と赤ちゃんが生まれてきます。ペースがすごい)。

数が多いから、夜まで野原や誰かの家で遊んでいます。かわいい笑い声(ときに泣き声)が一体に響き渡るけれど、顔をしかめる大人は一人もいません(当たり前の話だけれど、日本じゃ当たり前にならなくなっている)。

日本(特に東京)にいると、大人たちは電車の中ではスマホを眺めて、互いに口も聞かず、子供が大声を挙げようものなら、違う生き物を見るかの表情になる人もいる。そんな他人に気兼ねして「すみません」と親が言わねばならないような社会になってきた気がします。

ふと思い出したのは、 Children of Men (邦題『トゥモロー・ワールド』という近未来SF映画。

なぜか全世界的に女性が妊娠できなくなった。一番若かった少年(たしか18歳くらい)が殺されて、人類は、ただ老いていくだけという状況になった。

どの国も内戦・分断やテロ・犯罪などで治安の悪化が進み、大人たちは、ただ死に向かっている自分と世界の現実を感じながら、なんの希望も見えない日々を過ごしている。

個人的に覚えているのは、奇跡的に生まれてきた一人の赤ちゃん(人類にとって18年ぶり)と母親を、主人公の男性が抱きかかえながら、銃弾飛び交う廃墟と化した病院を脱出する場面。

赤ちゃんの姿を見た男たちが銃撃を一斉に止めて、”絶対に死なせてはならない”というすがるような目で見守って、赤ちゃんと主人公たちを見送る(このあたり少し記憶が曖昧なのだけど)。

核戦争でも隕石でも気候変動でもなく、子供がいなくなったことによる緩慢な人類の死。それがどれほど殺伐としたものかが伝わってくるエンディング。

子供が生まれてこない・育たない世界というのは、死に向かっていくのと同じ。

日本社会は、この映画(原作小説)が描いた近未来世界の縮図みたいな状況になりつつある(すでになっているのかも)。

人間とは哀しい生き物。たちまち老いて死んでゆく。

死がもたらす虚無を埋めてくれるのが、新しい生、つまりは子供たち。

子供たちがいるから、人と社会は、虚無の闇に呑まれず、なんとか未来への希望を感じて生きていける。

その子供たちが生まれなくなったら・・・途端に虚無の闇に吞まれ始める。

もともと生命というのは、そういうものなのに、人間は未来を育てることより、なお自分だけの都合を見て、与えることより奪うことをことを、愛することより傷つけることを選んでしまう。

愚痴に不満、過剰な萎縮に見栄の張り合い、信頼よりも猜疑を、称賛と応援よりも中傷と非難を向けることに明け暮れている。

そんなことをしていても、どうせみんなあっという間に死ぬのに。

それでもなお人を傷つけ、子供という未来よりも、老人と化した自分たちの今しか見ようとしない。

まるで銃弾飛び交う殺伐・暗澹とした、この映画の世界のよう。

疑いや嫉妬や中傷に汚染された社会の只中にいる心には、希望は見えない。

希望というのは、未来が現在進行形で育っていることを目の当たりにできる社会にこそ灯る。たとえば、この村の日常のような。

インドの小さな村と日本という老いた国と。まるで違う二つの世界を見ている気分になってくる。

あの国の人たちが、未来が育つという当たり前の輝きを思い出せる時代がくるのだろうかと、ふと思う。


全編どんよりと暗い(イギリスらしい)映画なのでお付き合いできる人はどうぞ
(○○○○primeで見られるそうな)




2025年2月

今年のおみやげ

毎年インド行きの前には、百均と家電量販店に行っておみやげを買いあさる。

自分のためにはとことん出費を渋る(悩みに悩んで最後は買わない選択をしてしまうほどの)貧乏性だが、インドへのおみやげとなると、やたら悩むうえにけっこうな額の買い物をしてしまう。一年に一度だし、今年の子供たちは今年きりだし(すぐ大きくなってしまうし)。

ノブには電車(電池で走る)と飛行機(ライトが着き音が出る)を、一つに絞り切れずに二つ買ってしまった。

ラケシュとシタルには、3Dジグゾーパズルの地球儀(完成させると球体になる)、ブリタの浄水器、フィルターコーヒー(焙煎豆)、充電池セット。

アスカや近所の小さな子用には遊び道具。この点、日本の百均ショップはかなり優秀。ボール、万華鏡、キラキラシール、飛ばして遊ぶやつ(なんと呼べばいいのか)、お風呂遊具、けん玉etc.

買い込んだものをバッグに詰める。私には、あのコロコロ引きずって歩くスーツケース(と呼ぶのか)が性に合わない。背負って運べない量の荷物はそもそも運ぶべきではないという戒律(?)を自分に勝手に課している。そもそもあんなかさばるものを大量生産して、どう処分するんだ、地球の至るところに旅行ケースの山ができてしまうぞと環境への負荷も勝手に懸念してしまう。

だからずっと背負って歩けるサイズのリュック2つで旅行してきた。一つを背負って、ひとつを前に抱えて、サンドイッチ状態で移動する。2つで20キロ行かない。他の乗客の荷物を空港で見て、その巨大さ・重さに仰天する。よく海を飛べるものだと感心してしまう。

今回も2つ背負ってインドに到着。着いたその日から配り始めるのだが、意外だったのはシタルは化粧が嫌いだということ。せっかく買ってきた(といっても百均だが、それでも日本の百均はあなどれないのであるが)ネイルジェルや爪に貼るシールは要らないと言ってきた。 「シンプルに生きたい」のだそうだ。さすがラケシュの妻。 学校の先生たちにあげることに。

コーヒーがラケシュ夫妻のお気に入り。今回はフィルターコーヒーの作り方を伝授。「コーヒーは、豆を挽くところから始まって、淹れ方にも細かい作法があります。宗教みたいなものです」と、半分冗談で半分本当かもしれない俗説を吹き込みながら実演。

ブリタ(浄水器)と充電池セット(パナソニック)も喜んでいた。頭皮マッサージ用の櫛の長いブラシも(百均で売っているお風呂用品)。

 

毎年必死の思いで運んでくるのだが、あっという間になくなってしまう
動くワンちゃんがアスカはお気に入り


あずかってきたお土産も無事渡しました(ありがとうございました)

風呂場には濡らして貼るアルファベットと九九の壁紙



だが私が持ってきた電動歯ブラシは爆笑だった。インドでは、朝起きた時に口磨きパウダー(アーユルヴェーダ)を指先につけて口の中を磨くだけ。食後の歯磨きという習慣はない。食べたまま寝るそうな。それでもラケシュの歯は真っ白。昨年94歳で亡くなった父親も、最後まで歯は丈夫だったとか。

インドでは15年前まで歯医者など誰も知らなかったという。最近、ムンバイなどで歯科医が増え始めた。人々も食後の歯磨きを1日に2,3回するようになった。なんとそれから虫歯を患う人々が急増し始めたのだそうだ。

もともと虫歯菌がいない国らしく、歯磨きの習慣がなかった。歯磨きするようになって虫歯が増えだしたというのは、興味深い。日本でがん検診をやり始めて以降がん患者が増え続けているというのと似た構図があるのかないのか。

ラケシュが、インド人御用達のアーユルヴェーダ歯磨き粉(口磨き粉?)をくれた。試してみよう。



学校にお土産を持って行く。ボールとかバネで飛ばすスクリューとかフラフープとか。

毎年けっこうな量を持ってきているつもりだが、昨年あげたものは全部跡形もなく消えていた。ラケシュによれば、1か月で全部(奪い合っているうちに)壊してしまうのだそうだ。

今回もそれらしいリアクションが。ふさわしくない喩えかもしれないが、難民キャンプに食糧を持ち込んだかのような奪い合いが。譲り合いの精神はゼロ(笑)。

朝8時に職員室からおもちゃを私が運び出して、それを子供たちが奪い合うというのが、毎年この時期に見られる光景である。今年も再び。


われ先にと奪ってゆく
 
 
朝礼までわずか5分でも夢中で遊べることがすごい
(子供の頃は学校の中休みもすごく長く感じたことを思い出す)




2025年1月下旬