未来を生きるということ

 
最終日の土曜は、学校の朝礼でお別れの挨拶。「来年また戻って来るから、それまで学校を楽しんでください。全体をよく見ること。環境を大事にすること、特に植物はかわいがってね」。
 
そして締めのラジオ体操(第一(笑))。
 

子供たちの中にいると、自分は去りゆく命だが、と同時に未来を育てゆく働きの一部であることを実感する。

自分の老いや死を見れば孤独を感じるのかもしれないが、そんなことはごく当たり前の自然の摂理であって、次の世代や幼い子供たちを育てることで、自分もまた育ちゆく未来の一部になることができる。

老いや死を克服することは、案外簡単なことで、小さな自分にとらわれずに、未来を育てることを喜びにすればよいことなのだと思える。

どんどん育ってくれれば、それが自分の幸せになるのだ。


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みんなで記念撮影 大人たちも未来の中にある


荷物をまとめてラケシュの家に行くと、仲間たちが見送りに来てくれていた。婦人も青年たちも。

ラケシュの車に乗って出発。みなが手を振って見送ってくれた。


空港では、ラケシュの兄と学生寮の生徒たちが待ってくれていた。

毎回、手を振って見送ってくれる。その姿をいつまでも覚えておきたいといつも思いつつ、空港の中に入っていく。


この地には、すべてがそろっているようにも思う。

この体が二つあれば、すべて解決するのだが――。




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空港で見送ってくれた仲間たち 
彼らと出会えただけでこの時代に生まれてきた意味があろうというもの



2024年2月下旬