こんにちは、草薙龍瞬です。
今、インドにいます。
昨年と同じく、みなさんに出立の挨拶できずに、慌ただしく日本を出ました。ギリギリまで作業して、時刻が出発の日に入ったところで旅の準備を始めて、時間になったら家を出るというやり方が定着したような(絶対に飛行機に乗り遅れられないという切迫感があるので、逆に安心してギリギリまで作業できるのです(笑))。
特に今回は、本の原稿を書くことに追われて、アタマが完全に「日本バージョン」になっていました。ふだんの生活でしている こと、アタマの中で考えること、お付き合いする相手などが、全部日本のモノ・ひと、の状態。その上、旅支度しつつアタマを切り替える時間はほとんどなし。
飛行機の中でも、考えることは今進んでいる仕事のことばかりだったので、インド・ムンバイに降りてもあまりインドを感じず、どこかリアリティがないまま、ナグプールに向かったのでした。
ナグプールに早朝降り立って、空港の外へ。日本からは、慌ただしく事前にインド到着と出発の日時をメールで一本送っただけだったので、もしかしたら今日私が着くことを忘れているかもしれないとも思いつつ・・・。
ですが、実際には――ラケシュらNGOのメンバーたちだけでなく、寺用の土地を寄進してくれた男性たちや、現地の坊さんや、その他新しい人たちが、花束を持って総出して迎えてくれたのでした。村をみなで出たのは、朝6時半だったとか。起きたのはもっと前だったはず。ありがたい話でした。
お店で朝食を食べつつ、現地の話を聞く。考えてみたら、ここ数年は、日本から誰かを連れてきて、数日滞在しただけで去るという状態だった気が。でもこうしてひとりで来ると、肌で感じる空気が違う。もともと同化することが得意な性分からか、再会して三〇分で、もう「半インド人モード」である。今度は日本が遠くなってきた(笑)。
ちょうど十年前の二〇〇六年に、初めてこの地にやってきた。そのときは、日本に帰るつもりは、もうなかった。師に受け容れてもらった日以降は、一生この地で生きていくのだろうと思っていた。
「ここで生きていく」つもりでいるのと、「旅のつもり」でいるのとでは、その土地と自分の関係性がまったく違ってくる。旅のつもりなら、「視点」はどこか上か ら眺めているように遠くなるが、
その土地で生きていくつもりなら、視点は急に低く、地べたに近くなって、目の前の風景しか見えなくなる。「この地で生きていく」ことが心の前提になってしまう。
つい数時間前までは、完全に日本モードだったのが、今度は完全に「インドの出家僧」モードになってきた。
日本で出会った人たち、みんないい人たちだったな、本当にお世話になりました、ありがとう、またいつか逢いましょう、お幸せに、お元気で――という心境(笑)。
●村に入ると、いつもと変わらぬ人たちがいた。近所のご婦人たちも、隣の家の犬サンディも、ラケシュの家の緑のオウム(名はミトゥという)も。サンディは、私の顔をよく覚えてくれていて、見つけるとしっぽをふって近寄り、僧衣に顔をうずめてくる。
子供たちは確実に大きくなっていた。2009年に幼稚園を作ったときに3歳半で入園してきた子たちが、今は9、10歳に。現在170名。今年中に新しい教室を立てて、小学校の認可を受ける予定とのこと。
資金不足で、まだ校舎はレンガ地むきだし。ほんとは漆喰で固めてカラフルに色を塗るのだが、そこまで進んでいない。授業料も月400円のまま。経営が苦しい状況は変わらない。あと3年くらいは逼迫状態が続くだろうという。ここは、”日本チーム”が出番になるかもしれない(というか、頑張ってそうしよう。まずは私が働かないと(笑))。
22日には、寺建立中の土地で大会がある。5千人以上の人々が、仏教の話を聞きに来る。さてどんな話をしようか。まずは現地で起こった痛ましい事件の報告を聞いて、「悲の心」に立って話を組み立てていくことにしよう。
十年前、インドに来たときは、何も知らず、何ひとつ未来が見えなかった。あれから十年――その歳月はけして長いとはいえないが、今自分が立っている場所も、担っている役割も、この地や日本での関わりも、あの頃に比べて大きく変わった。そして明確になってきた。
どの場所においても伝えるべきは、仏教の本質。そ の点は同じである。わかりやすい言葉で、苦しみを溜めない「心の使い方」を伝えていく必要がある。今の時点では日本、やがてはインドでやっていくことになる。
ラケシュ一家が私財を投じて作っていた「インターナショナル・ゲストハウス」が、7割がた出来上がってきた。話が立ち上がって、もう4年は経っているだろうか。ひとまとまりの農業収入が入ったら、そのぶんで資材などを購入して、私や日本の訪問客が滞在できるようにと、コツコツと建設を進めてきた。
その中の、「昨日仕上げた」という一室を与えてもらった。水洗トイレや温水シャワーなど、自分たちのためなら絶対に作らないだろう設備がある。インドに来るたびに、「与える」ことへの彼らの自然さに、どこか胸が痛くなるくらいの感銘を受ける。さりげなく心が広いのである。
「帰ってきた」という感のある再訪だった。インドにも、日本にも、いろんな「家」がある今は幸せでございます(笑)。
2016年1月19日