プージャ(法要)


4年ぶりの帰郷とあって、今回はプージャ(法要)が多かった。ウダサ村、隣のウムレッド、さらにナグプール。足を運ぶと、家族・親戚・近所の人たちが集まっている。

部屋の一角に小さな仏壇(といっても小さな仏像と献花、ろうそくと線香のみのつましい見た目だが)。その前に私が座り、子供たちが座って、施主の夫婦と家族たちが座る。
 
小さな仏像と故人の遺影

 
私の法事がいたく気に入っているノブは、どこにでもついてきて、一番前に座る。「サッベー」を覚えて、私の代わりに先導するまでになった(笑)。

部屋の灯りを消して鈴を鳴らしてスタート。「モバイル・バンダ・カロ」(携帯の電源を切ってください)と、毎回言うのだが、お経を読んでいる途中で、ほぼ確実に誰かの携帯が鳴る(==;)。即、法要中止。バンテジの喝が入る(笑)。

読経にはいくつかパートがある。その合間に、ブッダの教えの要点を解説。それをラケシュが現地語に通訳する。

どの場所でも読経が終わると、フルーツと少しのお布施を供養してくれる。受け取り方には現地の作法があるのだが、私は日本語で”慈しみ”と、それぞれへのメッセージを伝える。「お体がよくなりますように」とか。パーリ語で言っても意味が伝わらないのだから、自分の思いと最も合致する言葉で伝えるほうがよいと思って、ずっとこうしている。

フルーツは少しだけ受け取って、あとはその場でカットして、みんなで食べる。お布施は額はさまざまだが(多くて500ルピー、千円くらい)、滞在中に使うことは、ほとんどない。帰国する時に滞在先の家族にに託すことにしている。

このプージャ、彼らにどんな意味があるのか、ラケシュに訊いてみた。現地の坊さんたちはブッダの教えを説いてくれない。続くのは幽霊や超能力(サイキック・パワー)の話。
 
経文に耳を澄ませて心を洗い、ブッダの教えの本質を確認する。テレビ、スマホ、音楽に毒されている人々にとっては、貴重な時間だとラケシュは言う。

私は「生き方」だけを伝えている(日本と同じ)。現代に生きる人たちにとっては、たしかな価値があるらしい。これからも続けよう。


 
プージャ中に牛が訪問
パパル(自家製の焼きせんべい)をあげると離れていったw