2013年インド帰郷6 道の孤独  


2013年12月27日

チェンナイ郊外の村を訪問。この村には1万3千人の村人が住み、そのうち十分の一が仏教徒。熱心に活動しているのは6家族のみ。

彼らが新しい土地を買って、簡素なビハールと僧侶滞在用のクティ(ちっちゃな家)を作った。僧侶はいない。残りの敷地は緑ぼうぼうの更地のまま。

協会の理事長さんほか主要メンバーと会う。みなでビハール最初のプージャ(供養式)をやる。座り方からガイドする。

それからダンマトーク。彼らは仏教の話を聞く機会がほとんどないので、五戒文(殺生しない、盗みをしない、といった仏教徒の基本ルール)を唱えるくらししか知らない。“瞑想”の話をしても、ポカンとしている。

どんな状況にあっても、ものごとを正しく理解できれば、心の葛藤は消える。信じるのではなく、正しく理解しようと務めること。理解の先に悟り Enlightenment がある。ブッダはそういう道を示した人。理解を育てる基本の方法がサティ――といった話をする。

 

チェンナイ郊外でのプージャ(法事)




ちなみにこの地で仏教を語ると、いろんな反応が返ってくる。たいがいの場所では好評。みな嬉しそうな顔で見送ってくれる。

ただ複雑な反応が返ってくることもある。ある村で話したときは、村人の老父のひとりが、「なんで地元の言葉(マラティ語)で話をするんだ(英語なんか話して)」とクレームがあった。

彼らからすると、村に坊主が訪れたことなど一度もない。仏教の作法なんか知らない。せっかく集まったのに英語で話されるなんて……ということらしい(通訳してもらっているのだけど(^^;))。

なるほどな~と思った。彼らの心情は理解できる。たしかに好感をもてる外国人というのは、現地の言葉を話せる人(山形弁を話すアメリカ人とか)。心情はどこの地でも同じである。

「気持ちはわかります I understand your feeling.. ただ私がマラティ語で話せるようになるにはとても時間がかかります。まずはこの出会いをエンジョイするよう心がけてみませんか。


坊さんが初めてきたということ、こうしてお互いに出会えたことって面白いことだと思わない? 出会ったことをまずは楽しみましょう Let's just enjoy seeing each other」という話をする。

あとで聞くと、小難しい反応をしたのは一部の老父たちで、子供や女性たちらほかの人々には好評だったらしい。ラケシュがいうには、あの村には教育も普及していなくて、人々の意識は古いまま。でも初めてお坊さんの話を聞いて、みななにかを考える。あのお坊さんは何を伝えようとしたのか、って。それがすごく大事だ、と言う。

「メッタ (マイトリ、いつくしみ)」 という言葉も、村人ははじめて聞いたという。

あの村の何人かでも、また今日訪ねたこの地でけなげに頑張る村少数派の仏教徒たちも、この新しい言葉を覚えて、それを日頃の心のよりどころにしてくれたら、と想う。

こういう仕事が坊さんの仕事。地味な仕事だけど、人の心に小さな花を咲かせることができるかもしれない仕事。

インドの地は言語もバラバラ、人々もバラバラ。ひとに譲るより自分を優先させる、都合の悪いこと(ゴミやミステイク)は適当にほっぽり出すという、(正直あまりにひどいと思ってしまう(笑))文化がある。

田舎の村にいけば、合理とは無縁の、因襲と盲信の中に眠るように生きている人々がいる。彼らにとってはラーマやクリシュナといった神々は“実在”する存在であって、カーストも輪廻も、当たり前の真理として脳裏にこびりついている。

文字も読めない人々がたくさんいるのである。本を読んで考える、という営みからはるかに遠い意識を生きている。

こうした現実が2500年以上昔からきっと変わらず続いている。それを想うと、ブッダという人は、この地で何を感じていたのか、という疑問が自然に湧いてくる。

ブッダがたどり着いた理解というのは、インドの人々からはあまりにかけ離れていただろう。そのことはブッダも承知であっただろう。だから仏典にあるとおり、伝道を最初はためらったのかもしれない。

インドの現状と比較して、仏典に残るブッダの思想はあまりに合理的で澄みきっている――。

人々は、ブッダのことばを理解していたのか。仏典のエピソードをみると、仏弟子や人々が理解できなかった(反応さえしなかった)話というのもたくさんある。ブッダは教えをあまさず説いたが、人々は理解できなかった――そういう場面がおそらく無数にあったのだろうと思われる。

ブッダは自分が得た理解が人々にも同じように理解されるだろうとは到底考えなかっただろう。自分亡きあと、人々は、この盲信の眠りのなかにただ戻るだけ――そう知っていたのだろうと思う。

それでも、伝えるべきもの、ダンマを伝える。伝えるべき真理はそれ以外にないから。

伝えたあとでそれがどうなるか、人々がどう受けとめるかは、自分が計らえるもの(領域)ではない。


そういう諦念(あきらめ)があったのではないか、と思える。

たどりついた真理以外に自分が伝えるべきものはない。だから、ただ伝える――。

孤独な人だったのだろうと想う。


地元の青年たちと湖畔で対話

古来変わらない仏教徒の流儀