2013年インド帰郷4 希望の水 


2013年12月23日

ナグプールマップを作るために、市内を回る。トラの保護地区の森をドライブしていると、目の前に血まみれの老婦が倒れている。家族らしき女性はパニック状態。助手席に座っていた私に「バンテジー!(お坊さん!)」

ただちにメンバーたちと老婦を抱え上げてバンの後部席へ。ディパックが冷静沈着に老婦を抱きとめ、「バイ?バイ?(お義母さん)」と泣き叫ぶ女性を同乗させて急遽発進。日本のような救急体制はこの地にはない。

ラケシュが車を運転。バンに乗っていたワスほか二人は車を降りてバイクで後に続く。流れるような連携。誰が何を語るまでもなく、みな何をすべきか知っている。

あとで友たちがいうには、家族が路上で助けを求めても、ドライバーたちは警察沙汰を恐れて止まってくれなかったそうだ。坊さん(つまり私)が乗っている車なら助けてくれるだろうと思ったという。警察も坊さんが乗っている車に目をつけはしない。僧であることが意外なところで役に立った様子である。

病院に運び込む。脳挫傷で、意外な重症らしい。老婦は車内で吐いてしまって、抱きとめていたディパックのワイシャツとズボンは血と吐瀉物で汚れてしまった。それでもディパックはイヤな顔ひとつしない。このチームは尊敬すべき仲間たちで作られている。新しい服一式をディパックにプレゼントした。



日本〇〇社からいただいた水質浄化剤を、いくつかの場所でデモンストレーション。反響が大きい。インド全土で水の汚染が問題になっている。

“〇〇〇”は、池・川・井戸の水を汲み上げて、浄化剤(粉末)を攪拌するだけで汚染物質が凝固、沈殿するという画期的なもの。浮遊物が舞う水がみるみる透明になっていくのをみて、みな笑い出す。

この浄化技術は、これまでの濾過という浄化法とは、原理・発想がまったく違う。私が飲んで見せるまでもなく、みなためらいなく飲み干す。

水の汚染で困っている人々に優先的に頒布する、利益が上がる段階になったら、何割かを地域改善に役立てる、利益の活かし方としてコミュニティ全体のインフラ整備・保険・基金などに当てる、あるいは社会活動を頑張っている篤志の団体・個人を表彰する、奨学金にあてる、といった方向性を話し合う。

この幸運を次の善き価値の創造へ――この地の団結力と技術力と正しい動機をもってすれば、かなりの成果が見込めるだろう。

〇〇〇社のバングラデシュでの活動を特集したテレビ番組をみな熱心に見ている。製品の名と社長の「〇〇センセイ」を覚えてもらった。

いくつかのハードルがある。ひとつは政府の認可(ISI)を得ること。これは可能らしい。もうひとつの壁は、「市場で売る」こと。インドの飲料水市場は、ヴァイシャ(商人)カーストで寡占されている。上位カーストの事業に割り込もうとすれば必ず妨害されるという(このあたりはほかの国とは違う事情がある)。

まずはウダサ村からスタート。近郊村落での頒布。地域限定で売ることは難しくない。もし「売る」ことが難しい状況であれば組合形式にして会費を集めるという形ではどうかという話。いろんなやり方があるだろう。「ステップ・バイ・ステップ」で状況を変えていけばいい、という話。

すべては「〇〇センセイ」が来てからの話。この新しい水プロジェクトは、インド社会に大きな慈雨をもたらす可能性を秘めている。成功を願う。

工場排水で水道水が黄色く変色 地元の人たちが立ち上がった

今回のプロジェクトはその現地報告を受けて日本で動いたもの