2013年インド帰郷12 今回の旅を振り返って  

   
2013年1月14日

ようやく日本に帰ってきた。ミッション完了(ふう~)。

インドは烈しかった――毎日がめまぐるしい。

今の心境をたとえると、味わう間もなくたらふくバイキング料理を食べさせられて、一体自分はナニ食ったのかこれから思い出そうとしているような感じ(?)。

上野にたどり着いたとき、冷涼たる日本の空気に触れて、ようやく正月を迎えたような気になりました。

「今年はがんばるぞ(やらねば)」という感じ(過去を見ない坊さんは「今年も」という言い方はしない(笑))。

ちなみに昨年の抱負は、「一年ライブ(仏教講座)を休まずに続けること」だけでした。

完遂。それだけでいろんな出来事に恵まれた。〇〇〇での事務所開きも、インド再訪も。二冊目の本も。

今年も同じ。目の前を見て、理解して、自分にできること、なすべきことをやる。

もし正しい行いをやっていれば、自然に因縁というのはつながってゆく。

自分としては、だから何も考えないで、行いに努めるだけでいい――。


今年は日本での活動3年目。よきつながり(ご縁)が増えてきた感じがします。

これからもっともっと確かな心通う関わりをつくっていきたいと願っています。



今回の旅でひとつ感じたこと――それは、仏教発祥の地インドで仏教を伝えられることの幸せ――です。

今回発見したのは、私が伝える“伝統フリーな仏教”がインドで受け入れられる可能性がかなり高そうだということ。

ナグプール、バンガロール、と大きな都市二つに活動拠点が簡単に見つかった。

私が今後インドに渡れば、現地の人々が会場&人集めのお膳立てをしてくれることに。

今後は、身ひとつでかの地に渡って、その場でブディズムを説き、仏教を奉じる現地の人々を励ますことが可能になったのです。

仏教を伝える者にとって、仏教誕生の地で仏教を分かち合えることほどありがたいことはない。僥倖(ぎょうこう=思いがけない幸せ)にあふれた旅となりました。

さて、2月、3月と単発の講座をやって、4月から通年のシリーズ講座をはじめます。

もし仏教がいったん絶滅したインドにて、かの地の仏教徒たちが、日本で始まったこの場所での仏教を“ダンマ”として受け止め、心の拠りどころしてこれからの世の中を作っていってくれるとしたら――?

夢想は禁物だし、別に価値を確認する意図もないのだけれど、日本とインドで始まろうとしているこの道は、“新しい善き価値の創造”という、私が唯一こだわる価値を具体化してくれる可能性を秘めている様子。


ならばこのまま歩き続けるのみ。


本当の道は、たどりつく先を見なくても、今歩いているこの一歩一歩に充実を感じるものでしょう。

この一歩に気持ちを込めること。
それだけで、必ずどこかにたどり着けるであろうという予感(確信)がすること。


それが理想の道なのではないかな――。


今年一年は、仏教ライブを休まずに続ける(そして願わくば、年末にもう一度インドに渡る――いよいよインドでのダンマライブを本格スタート)、というのを方向性に、がんばります。


あなたにとってこの一年がよき年となりますように。
本年もどうぞよろしくお願いします。





村の大事な仲間たち

2013年インド帰郷11 村の一日


2013年1月4日 

早朝、村人の声で目が覚める。ようやく帰ってきた。久々に熟睡した。

ラケシュの家には、近所の婦人たちが水を汲みにやってくる(ポンプのない家庭も多いため)。

男たちは、歯を磨いたり(インドでは夕食後ではなく朝歯を磨く(笑))、新聞を読んだり。朝から人々が集まってにぎやかしい。

朝8時すぎ、学校の子供たちが集まってくる。(正月休みというのは基本的にない)

ラケシュの家から細い土の道をはさんだ向かいに幼稚園がある。ある子供たちは歩いて、ある子供たちはディパックの兄の車で、ある子供たちは親に連れられてやってくる。カバンを置いて、楽しそうに遊びはじめる。女先生がやってくると、元気よく「グッモーニング、ティーチャー!」

朝礼は外の小さな敷地でやる。前の子の肩に手を置いて「前にならえ」の整列。

一番うしろの子の肩に私が手を置いてみせると、子どもたちが笑う。

そのあと各教室へ。この学校は部屋が二つしかないので、ひとクラスはとなりの民家の部屋でやる。学校をはさんだ反対側のもうひとつの民家の屋上で朝礼を開くこともある。

この地の人たちは、あまり「自分のプライバシー」というものを気にしない。部屋が空いていれば子供たちの教室としてごく自然に提供する。もちろん無償、と語るのも野暮なくらい自然に。

夜は、一部の村の青年たちは学校の教室で寝る。ラケシュの家族は、それまで椅子かわりにしていた簡易ベッド(ベンチと呼ぶ)にそのままころんと横になってみなで寝る。男も女もないし、世代も関係ない。そして明るくなるとぽつぽつと起きだして(目覚まし時計がない)、いつの間にか、いつもの朝が始まっている。

みなよく喋るし、仲がよい。近所のみながひと家族の観がある。話のネタを見つけてはけらけらと笑いあっている。

ひとつ思うのは、彼らは、上手に生きるすべ・うまく関わることを自然に心得ているということだ。

朝礼の様子をみながら思ったこと――(子どもらが振り向いて私のほうをのぞいている(笑))。

この子たちは、今日この幸運を振り返ることがあるだろうか。この子たちは、とてつもなく精妙な幸運のなかにある。

十年前に、村の青年たちが小さな図書室を作った。それをさかのぼることさらに十年前、ワスという二十歳の青年がババサブ(アンベドカル博士)の著作『ブッダとそのダンマ』を読んでなにかを深く考え出し、まだ小学生だった弟のラケシュやその友ディパックを教育し始めた。

彼らが大きくなって意志を持ったとき、彼らは村に新しい何かを創り出そうと図書室を作った。

数年経って、ラケシュは、ブッダガヤへの道中で、道を探してインドに渡ってきた日本人(つまり私)と偶然出会った。

それから二年経って、彼らと僧となった日本人とは話し合って、仏教に基づく社会改善の活動をはじめようと、新しい組織をつくった。その第一弾として幼稚園をつくった。

それから3年半がたった今、今朝の朝礼には100人を越す子どもたちが並び、嬉々として先生にあいさつし、3歳の子供たちはよたよたとおぼつかない足取りで教室に入って、何も考えることなく先生の声に耳を傾けている。

そのやわらかな心は無垢のスポンジのようで、大人はけっして取り戻せない、“吸収”という名の才をあますところなく発揮しているように見える。この子たち以上の“可能性”は、大人は手に入れることはできないのかもしれない。

この子たちが受けている教育は、村の青年たちが考えるベストの教育である。3歳の子供たちが、月百ルピー(160円)という授業料で、これほど良質な教育を受けている。

子供たちは、村人たちの最良の善意によって今日一日を生きている。 「見えない翼」にささえられて、彼らは幸運の雲に乗っかっているように見えなくもない。

3年半前には“無”だったものである。今は100を越す可能性が生まれている。

始まったばかりの可能性。何一つ失われていない、ほぼ100%の可能性が、私の目の前に生きている。

“未来”はこうして作られていくのだろう。

未来の作り方を、人々はこの上なくよく知っている。ごく自然に分かっている。

よき未来の作り方を、日本に生きる私たちは知っているだろうか。未来への閉塞感は、未来のつくり方を忘れてしまった焦燥から来るのではないだろうか。

よき未来を作るには、ひとつは“無から始める”ことかもしれない。

未来を忘れた感のある人たちは、きっと出来合い(既成)の価値観やしきたりを前提にしすぎているのかもしれない。

無から始めることほど、心に素直に、よろこびを伴う、楽しい生き方はないのであろう。

私もこの流儀に従うことにしよう。


学校の記念祭

学校の記念祭 ラケシュたちが建てた図書館前で開催
学校の次は水の浄化プロジェクトを始めます

 

2013年インド帰郷10 信仰よりも必要なもの

                  
2013年1月1日

朝6時発。3時間のドライブで、バンガロール郊外にあるチベット難民キャンプへ。

ここは中国の侵略を受けたチベット難民が、インド政府から与えられた土地。

ネパールやインドには難民キャンプがたくさんある。このキャンプには2万5千人のチベット人と、7千人の僧が暮らしている(かなりの比率である)。

三十代半ばのチベット僧に案内してもらう。ネパール出身。この地に来て十七年目。

二〇年にわたる修行の途中なんだとか。修了するとゲシと呼ばれる(PhD博士号相当)の資格が与えられる。

寺院に参拝すると、大日如来や薬師如来といった日本でもおなじみの仏たちが祀られている。


輪廻転生を信じること、ヴィパッサナー瞑想とサマタ瞑想をやる点は、テーラワーダ仏教と通じる。

ただ、チベット仏教が崇拝する“16人の阿羅漢(アラハン=いろんな意味で使われるけど平たくいえば涅槃に達した聖者)”の中には在家もいる。

(テーラワーダでは、“アラハン=(イコール)比丘限定”という決まりがある。もし在家のままでアラハンに達したら、“一週間以内に得度しないと死ぬ”という丁寧な“脅し”が注釈にある。悟りをあくまで比丘に限定したいのだ。しかもスリランカでは”コナガマナ”と呼ばれるバラモン・カーストしか比丘になれない。)

ごく一部だが、性的儀式を密かに行うタントラヤーナ仏教というのも現存しているらしい。でもこれは、悟りへの修行をすべて終えてから取り組むべき最終最高の修行なんだそうだ(ムリありすぎる位置づけのような気がするが……)。

この難民キャンプのお坊さんたちは、最近まで畑仕事も自分たちでやって自給自足していたという。今はダライラマ法王の活躍もあって世界中から支援が集まる。だから農作業はやらなくなったとか。

彼は、ここ20年、朝夕の読経を欠かしたことはない。

経典は108ある(煩悩の数ではないらしい)。一人前の僧になるための試験では、その経典の一つ一つを正確に暗記してその意味を問われるそうだ。

その試験の厳しさは「実際に見たら驚きますよ」というくらい。

特別に、僧院でチベット仏教のお経を称えてもらった。低くおごそかに、つぶやくようにささやくように声がつづく。

ひとの声というのは、聞くだけで癒されるもの。だからこそ読経というのは、意味がわからなくてもどの地でも人気なのだろう。



文化大革命を指導した毛沢東の一家は仏教徒だったそうだ。その息子だけが仏教ほかの宗教を弾圧した(事実だとすると、人間は恐ろしいことを考えるものだ。自分ひとりの考えで何億もの人間の心をコントロールしよう・できると思ってしまうのだから)。

「ここまで弾圧されても武器はとらないの?」と聞いてみる。

「オフコース」と即答――。

彼の真摯な修行生活には感銘を受けた。けれども、ただ迷いなく闘いを否定するその姿には、一抹考えるところがあった。

たしかに仏教は殺生を禁じるし、慈しみに基づいて一切の闘いを放棄する。

もちろんそれは真理のひとつには相違いなかろうが、しかしそれは出家の倫理、宗教の領域内における真理である。

その真理を、この暴力に満ちた現実の世界にそのまま適用してしまっていいのかどうか。ひとつの真理はそのまま異なる領域にもダイレクトに通用するものなのか。通用させてしまうことが、“論理的”なのか――私はそういうところを考える。

少なくとも、闘いを否定すること・怒らないことを、現実のこの世界に適用しようとするときに、ワンクッションの思考――ためらい――があっていいような気がする。

出家が、つまりは世俗から離れた者が闘いを否定することは簡単だ。

しかし俗の現実を生きる人間が闘いを否定してしまったらどうなるか――簡単に虐殺が始まり、支配され、蹂躙されてしまう。

チベットの人々は、かつてイギリス軍の侵攻に対して、護魔符を身につけ、再生を信じて、石や刀という武器というにはあまりに無能すぎる道具をかまえて突進していって、砲弾の嵐を受けてあっけなく殺されてしまった。植民地時代に最後に残っていた帝国未踏の秘境は、簡単に支配されてしまった。

そして20世紀に入っては中国軍に侵略された。今に至ってもなお、チベットの人々は、抵抗のすべとして焼身自殺をして見せる。そのうち自殺して見せる僧さえいなくなるだろう。


その姿は――本当に、合理的なのか? 


輪廻信仰+(プラス)不殺生(非暴力)=(イコール)現実の前になすすべもなく打ちのめされる非力さ、という図式はないだろうか。これは表層的な見方だろうか。

少なくとも、信仰と、現実を生き延びるというテーマとの間には、もう一本線を引いたほうが正しくはないか――なんだかそんな感想が頭をよぎるのである。

輪廻というのは、厄介な信仰だ――というのが、私の正直な感想である。


ビルマでは、輪廻を信じるがゆえに、人々は貧しい中で寺院・僧たちに布施を積んだり仏塔を建てたりして、闘わずに、怒らずに、瞑想して心の浄化に努めるという風習を守っていた。

今ビルマで進んでいる民主化は、棚ぼたみたいなもので、仏教のおかげではない。ビルマ人が仏教を信仰していたから今の動きになった、という論理はまったく成り立たない。

仏教は、現実を変える点ではつねに無力だった気がしてならない。今考えるべき問題は、現実を変えるにかくも無力だった仏教が、本当に正しいのか、人々を幸せにするものなのか、ということではないのか。

以前ネパールを旅したとき、そして今回のチベット難民キャンプ訪問で感じたことだが、彼の地の人々の表情は、どこかしら無気力で、明るく前向きな顔を見かけない。

気のせいだろうか。ただ、かくも輪廻というのものをかたくなに信じ込んで、5人に1人はただマントラを唱えつづける僧たち(その比率は数ある仏教国の中でも抜群に高い)という社会において、人々は一体どのような希望を持ちうるというのだろう。

希望とは、何も望ましい未来や来世を思い描いて喜びを感じることだけではない。人生・職業を選べること、現実を改善する可能性があること、世の中のありかたを決定できること――

こうした今すぐにでも実現できるはずのことは、みな希望になりうるのである。

しかし彼の地の仏教は、これらの希望をはなから放棄し、そのかわりに輪廻に希望を託する。そうした信仰が根づいた世の中というのは、失望・無力そして閉塞につながりやすいのではないだろうか。


仏教徒にとって決定的に問題なのは、輪廻というのは、そもそもゴータマ・ブッダ(釈尊)が説いた思想とはまったく別物の可能性があるということだ。

しかしその可能性が問われることは、この地ではない。ビルマでもスリランカでも無いであろう。

はて、そのような現実が正しいものか。

仏教とは、ブッダすなわち“目覚めた人”の教えである。それが、本当に、輪廻といった人間の妄想に都合のいい(思いつきやすい)物語と合致するものなのか――。

輪廻というのは、じつに厄介な思想である。このような思想を前提にする限り、人々は現実を変えようとは心底からは発想しないだろう。苦しみは、この現実の一度きりの人生の中でこそ解決し、乗り越えるべきものなのだ、という集中はなかなか生まれてこないだろうと思う。

そのことによって、得する者とは誰なのか。比丘・長老たち? 武力にモノを言わせて支配・蹂躙し続ける強国の為政者たち?

インドで輪廻を説いたのはバラモンたちである。彼らは輪廻を自らの優越性を裏づける道具とし、人々に闘いをあきらめさせる信仰として利用した。

かくして三千年もの間、バラモンたちはインド社会を支配してきた。


あらゆる思想は、必ず、誰かの利益に働いている。その利益が、力なき者・貧しき者・救いを求めている者たちの側にあるのならばいい。だが、その利益が、逆サイドの人間たちにあるとしたら――そのような思想は、採るべきではない。

もとより、輪廻など、誰も現実に確かめえたことなど一度もないはずなのだ。

輪廻を真理として説く者たちよ――あなたたちは一体、いつ、どうやって、その存在を確かめたのか?

この欺瞞(ごまかし)は、ブッダの教えにまぎれこんで、今や仏教そのものとして信じられてしまっている現実がある。

ブッダという天才と、“ブッダの教え”として実に安易に妄想を語る後代の僧たちの凡庸さとの間には、計り知れない隔絶があるように思える。


そんなことをつらつらと思ったのはあとの話で、キャンプの中を回っている最中は、ガイド役のお坊さんの話をありがたく聞いた。お礼にお布施も差し上げた。

仏者同士、助け合わねばと思う。こういうときには、とにかく一生懸命聞くにかぎる。ひとつ新しい友情が生まれた。今度来たら、僧院に泊まってもらっていいと言う。


信仰というのは、尊いものだ。

だが非合理をも内在している。


私は信仰を否定することなく、その信仰の萌芽・礎(いしずえ)となるような、まがいなき本質部分の伝達につとめることにしよう。それがこの命の役割なのであろう。

現実をみよう。そして愛(慈悲)をもって考え続けよう。

俗世から離れた人生への憧憬は今もある
だが世俗の人々と同じように傷つきうる場所にいなければ
フェアとは言えないだろう?

2013年インド帰郷9 気づけば正月

2556/2013年1月1日

あけましておめでとうございます――と折り目正しくあいさつできるように、大晦日はどこか情緒あるシチュエーションで迎えたいと思っていたのだが、現実はそうでもなく、

今はバンガロールという南インドの都市にいる。外で爆発音が聞こえる。花火や爆竹というより“爆破!”っちう感じのどでかい音(笑))。

日本の「さあ、いよいよ新しい年を迎えるぞ~」という一斉感がちょっと恋しい(笑)。

私が知るインドは、新年を迎えるという儀式にあまり熱心でないみたい。毎回、いつの間にか年越しちゃってた……みたいな感じ(T T)。


今朝は、とある家庭に招かれて食事をし、そのあと列車に乗って地方の町(ラマナガラという)を訪れ、そこでいく人かの社会活動家と会合。都市にはない根強いカースト差別の弊害をたくさん聞いた。

多くの人が「インドではブディズムが失われてしまった」と嘆く。

仏教にかぎらずひとつの宗教が異民族の多い地で失われるとどうなっちゃうかというと、他の宗教に簡単に乗っ取られてしまうのである。それは特定の集団・人々にとっては、差別・迫害・支配・絶滅の危険に直結する。

このあたりの事情は、国のなかに“異民族”がいない日本とは事情がちがう。この地では、一宗教の衰退は即、集団の存続・個人の生存の危険につながるのである。

宗教が、民族・文化の安全を守る防護壁だとすると、仏教ほど“もろい”防護壁はないかもしれない。

怒らないこと、戦わないこと、瞑想しよう、徳(カルマ)を積もう、この人生が苦しみに満ちていてもきっと来世がある――というような物語はたくさんある。しかも今日びこの地の坊さんたちは、人々が語るには、「ナモータッサ」のお経を誦えるだけで人々と交わらず、教えを説かない。

かくして、今なお、仏教寺院が異教徒に乗っ取られ続けている現実があるらしい。取り返そうにもその力がない、と嘆くのである。ただでさえ仏教徒はマイノリティなのに、今なお足元を掘り崩され続けているのだ。かなり深刻な様子である。

今回意外だったのは、「ダンマ(ブッダの説いた真理)って何?」と不満げに語る人々がインドにこんなにもたくさんいたということ。

ダンマを知らなければ、まとまりようがないし、また教えを守ろうにも守れるはずがないだろう。


バンガロール有数の大寺院マハーボディ・ソサイエティで出会った篤実な在家信者もまた、同じような失望を語っていた。この寺院はバリバリのテーラワーダ仏教の寺なのだが、ひんぱんに開かれる法事で何をするかというと、お経を読んで、古い経典の話をして、僧たちに供養しておしまい。ある男性は、「あれはブディズムではない」とはっきり語っていた。

寺院に熱心に参拝している人から、こういう言葉を聞くとは思わなかった。みな、読経も仏典の話も、ただありがたく拝聴しているのだろうと想っていたから。

この地で見ているのは、私自身がかつて感じていた以上の、仏教への「?(クエスチョン)」なのである。「あれはブディズムではない」なんて、よほど求めているもののイメージがはっきりしていないと出てこない言葉だろうと思う。

だが人々が乗り越えることができないでいるのは、「ではブディズムとは一体何か?」という問いだ。

“ブディズムを生きている”はずの坊さんが答えを示せないのであれば、ブディズムを“学ぶ”側の人々に答えが見つかるはずもない。誰かが、明確な答えを示せないといけないはずなのだ。

「ブディズムとは何か」を明確にしなければいけない時期。でないと、ブディズムもろとも人々の幸福が失われてしまう。

この地の人々がよりどころとすべき確かなもの。ダンマの具体的な中身――。

それを明確にできれば、この地の人々は団結できるだろう。自分たちの生活を守ることができるだろう。たぶんそういうことなのだろうと思う。

今回旅しているうちに、ひとつのプロジェクト、使命のようなものが浮かび上がってきた。

ダンマ・ディスコース(法話)のプログラムを作ること。

一日あるいは数日規模の、ダンマを学ぶ集中講座を作って、この地で発信する。

このプログラムに参加してもらえれば、ダンマの本質――守るべきもの――が見えてくる。そういう内容。

日本でやっていることと内容は重なってくる。ただ、この地でのプログラムは“危機意識”に基づいている。彼らに守るべきものを提供して、それをよりどころにして現実に立ち向かう。

いわば、生き残るためのダンマである。

今回の旅で、かなりの社会活動家とめぐり逢った。場所・人集めは彼らに準備してもらう。私は、次の訪問に向けて、“仏教の本質”を英語バージョンで説き、彼らにとって示唆に富む仏典のエピソードをピックアップして、一冊のテキストを作ろうか。さらには仏教の本質をまとめたリーフレットを作る。その中身について、実際に法話をする――。

インド仏教徒たちは切実な危機意識を持っている。彼らには、“仏教の本質”がきちんと伝わる予感がする。というか、彼らが求めているのは、まさに“仏教の本質”そのものである。明解で、日々のよりどころになるもの。現実をいかに生きるべきかという方針を示してくれるもの。

この苛烈な地に“種”をまかなくてはいけない時なのだ――。

この時代は、本当の仏教(≒人々の幸福に真に効果的な方法)を人々の心に直接訴えなければならない歴史的な時期かもしれない。

“伝道”というのは、こうした目的意識をもってやるものかもしれない。

情熱をもって、人々の心のよりどころになるような、力強く、明白な思想を伝える活動である。


やらねば――(!)


そんなことを(熱―く(笑))考えながら帰ってきたら、もう年が明けていた(年越しの風情が……)。


ともあれ、

みなさん、あけましておめでとう!

今年もまたお会いできますように。

あなたの一年が幸福とともにありますように。

龍瞬より手いっぱいの愛を送ります。


バンガロールの仏教徒は知的水準が高い
英語も話せるし高度な話にも食いついてくる