2月7日は、ラマバイ生誕祭。ラマバイ Ramabai Bhimrao Ambedkar は、アンベドカル博士の妻で、この地では博士と同じように崇拝されている。毎年この日に、村のビハールで生誕祭が開かれる。
夜7時半頃から人々がビハールに集まってお経を詠える。婦人たちが何十年も詠い続けたお経を受け取って、私が次に読経。声はスピーカーで村全体に響く。ビハールの外にも村人たちが集っている。
前回は、詩人たちの長時間に及ぶ朗読(といっていいのかさえ怪しかったが)に村人全員がお付き合いさせられて、お尻が痛くなってしまった。壇上に座る詩人たちの後ろにいた私は、立ち上がって「お尻、痛いよね?」と呼びかけるジェスチャーをして村人たちの笑いを誘ったことがあった。その時の姿を再現すると、村人たちが再び笑った。
ミリンも、ラケシュも、メッセージ。最後に私が伝えたのは、
「世界はこんなに広い。でも私が戻ってくるのは、みなさんがいるこの村だけだよ。もう18年も!」
みんな、拍手。

お経の後はビハールの外でみんなと団欒
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つくづく不思議な縁だ。ブッダガヤへの道中でラケシュと偶然会って、ごく自然にこの村にたどり着いた。この村では気兼ねは要らない。休む場所も、食事も、必要な時に用意してくれる。忙しい時は放っておいてくれる。
18年前とは明らかに変わった。当時は何も知らなかった。インド仏教徒たちのことも、仏教のことも、生き方も。お金もなかったし、素寒貧の社会不適格者としての人生が始まった。再び浮上していけたのは、インドの心優しい人たちによってだ。
彼らは見返りを求めない。純粋に歓迎して、支えてくれたのだ。だからすべてを捨てた自分でも生きていけた。しかも新しい生きる意味を与えてくれた。あの最初の一年を振り返るだけでも、このさき生涯恩返しをしていく十分な理由があると思える。
ミャンマー、タイに渡って学問と瞑想に励んでいた時も、「必ず帰ってくる」という約束を思い出していた相手は、インドの彼らである。

ブッダとババサブが授けてくれた因縁だ 何かひとつ欠けていたら今はない
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世界はなぜ変わらないのか。どうすれば変わりうるのか。
仏教とは何か。ブッダは何を伝えたのか。
この世界で自分にできることは何か。
この村の人たちを、どうやって支えていくか。
すべてがつながって、すべてに答えが出た先にあるのが、今立っているこの場所だ。
今の私に、苦悩も疑問もない。必要な問いには、すべて答えが見えている。
仏教を伝えること。
この村の人たちを、主に学校運営を通して支えていくこと。
日本においても、まだまだできることはある。
新しい価値の創造だ。新たに創ることが、この命の本質だ。
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生誕祭では、みなに食事を振るまった。私もお手伝い。
私たちの学校の卒業生が、今回はボランティアとして手伝ってくれた。小さかった男の子が、背の高いイケメンになっていた(笑)。17歳だそうだ。
若い世代が育ってきたから、今回はラケシュもラクだと言っていた。健全な新陳代謝が進んでいる。
村人への食事は私もお手伝い(一人ずつコミュニケーションが取れるので楽しい)
ラケシュの家に立ち寄ると、ヨシオもヒメコもいた。向かいの家の子供たちも。
今のラケシュは幸せに包まれている。私もそのおすそ分けをもらっている。
2024年2月7日