ノブの憂鬱


ノブは今年2月9日に8歳になった。

ノブが“無敵”だったのは、2歳頃だったと思う。人見知りとは無縁で、どこにでも行き、誰に声をかけられても陽気に答える。2階にある私の部屋にも、「バンテジー!」と意気揚々と上がってきた。

そのまま成長していれば無敵の陽気男になっていたかもしれないが、いくつか試練があった。一つは、シタルが村議会選挙に立候補した年だ。どうやらノブは独り家に残された時間があったらしい。その頃の写真に映るノブの顔は、虚ろな目に深いクマができていた。淋しくて泣き腫らした目に見えた。危うさに気づいたのは私だった。

その時の写真とノブが2歳の頃の写真を並べて、ラケシュとシタルに昼間に話をした。幼い子供には、どうしても母親が必要になる。外での活動も大事だが、ノブがもう少し大きくなってからがいい。そう伝えた。



だがノブの憂いは、それが終わりではなかった。なにしろラケシュの長男である。いろんな人が家にやってくる。父親がきわめて高い人格の持ち主で、慈善活動という名の自己犠牲をごく自然にできてしまえる人間であることも、物心ついた最初に知ることになる。

ノブはまだ2歳にもならないうちから、父親ラケシュの手伝いを始めた。村でイベントがあると父親と一緒に手伝おうとする。大人たちが食べた後の器をおぼつかない手つきと足取りで運ぶ。散乱したゴミも拾う。こうした献身を、人生の最初期に始めたのである。

今年の冬は、ラケシュとドライブ中に、交通事故の現場に遭遇したそうだ。大型トラックの車輪にバイクに乗った若者が巻き込まれた。体はバラバラ。胸から下は跡形もなく。血まみれの肉塊が道路に散らばっていたという。

こういうとき、必ず中心になるのがラケシュだ。すかさず警察に連絡して聴取と見分。目も当てられない惨状だが、こんな事態下でも、ノブは平然としているという。「こういう時、何をなすべきかを考えて、行動に移す。それだけ」とラケシュは笑って言うが、父親の動きを、ノブは幼い頃から間近に見ている。

インドの交通事情は悪い。信号がないし、速度規制も無視するし、バイクに乗る人の9割方はノーヘルメットだ(ヘルメットを被っているほうが珍しい)。

事故れば死んじゃうじゃないかと心配するのが筋だが、案の定、事故が多発している。トラックの横転、乗用車の大破、バイクはバラバラ、死体もゴロゴロ(※不適切な表現をお詫びいたします)。

この地では命の価値が低いのではないかとも思うところがある。人口が多いから多少死者が出ても、あまり深刻にならないのかもしれない。「自分だけは大丈夫」というインド特有のミーイズムもあるかもしれない。

だからだろうか、ムンバイの列車は、いまだにドアがないし、屋根の上に乗る連中もいる。譲り合うという精神は皆無だから、乗降は”我先に”。乗るも降りるも自分優先だから、狭いドア、いやドアなしの出入り口は、二つの群れがぶつかり合う壮絶な修羅場になる(※脚色とも言いきれない現場です)。

ちなみに今真っただ中のインド最大の祭りクンブ・メラには、4億人近い巡礼者が集まるというが、数千人の死者が出ているという。海外に伝わる報道は、現地や駅で数十人が死にましたというおとなしめの内容だが、実態はそんな規模ではないという。死者続々。だが誰も意に介さず、あの広大な川べりにブルドーザーで穴を掘って埋めておしまいだそうだ(※ラケシュから聞いた話(笑)。ほんとかどうかわかりません)。

行けば死ぬかもしれないというのに、毎年全インドから群がってくる。そして巻き込まれて死ぬ。現地はWIFIが通っていないから、SNSにも上がらないのだという。いやそれならテレビや新聞で報道するだろうと日本人の私は思うが、なぜかされない。もはや当たり前すぎて報道の価値もないということかもしれないし、ヒンズーの大祭典だから水を差すなということかもしれない。何も考えていないかもしれない。真相は謎。死者数も謎。

話が脱線したが、ラケシュは人間も動物も救ってきた。もう何人助けたかも覚えていない。あるとき、見知らぬ男が家にやってきて、「あなたのおかげで今も生きています」と感謝してきたそうだ。「ぜんぜん覚えていない」とラケシュは笑う。

そういうラケシュと朝から晩まで一緒にいるのがノブである。現実を理解し慈悲をもって動くというブディズムの英才教育と見ても、大袈裟じゃないかもしれない。



そうそう、ノブの憂愁の二つ目は、妹アスカの出現だろう。それまでは世界の中心にいたノブだが、アスカ誕生とともに主役の座を奪われてしまった。野生児(ジャングリ・ムルギ)と化した2歳のアスカは制御不能。ノブのおもちゃを奪い、作った工作を破壊し、馬乗りになって嬌声を上げる。無敵だ。ノブは勝てない。

そのせいかそうでないのか、夜になるとノブはずいぶん大人しくなってしまう。かたわらでまるで酒を飲んだかのように上機嫌に踊ったり叫んだりしているナチュラルハイ(しかも最強度)のアスカの姿を、力ない笑顔で見守っている。

一度だけ、ノブが大泣きして抗議したことが今回あった。紙コップを積み上げて巨大な「バンテジー(私)の家」を作ってくれたのだが、完成した途端にアスカが破壊したのである。なんという暴君。さすがのノブも泣いた。かわいそうなのでバンテジーも参加して、ノブと一緒に塔を作った(最後の写真)。 

幼少期に早くも体験した憂い、と現実を見据える勇気と、一切の執着が許されぬ過酷な(?)環境は、ノブをどんな大人にするのだろう。



2025年2月