2013年インド帰郷11 村の一日


2013年1月4日 

早朝、村人の声で目が覚める。ようやく帰ってきた。久々に熟睡した。

ラケシュの家には、近所の婦人たちが水を汲みにやってくる(ポンプのない家庭も多いため)。

男たちは、歯を磨いたり(インドでは夕食後ではなく朝歯を磨く(笑))、新聞を読んだり。朝から人々が集まってにぎやかしい。

朝8時すぎ、学校の子供たちが集まってくる。(正月休みというのは基本的にない)

ラケシュの家から細い土の道をはさんだ向かいに幼稚園がある。ある子供たちは歩いて、ある子供たちはディパックの兄の車で、ある子供たちは親に連れられてやってくる。カバンを置いて、楽しそうに遊びはじめる。女先生がやってくると、元気よく「グッモーニング、ティーチャー!」

朝礼は外の小さな敷地でやる。前の子の肩に手を置いて「前にならえ」の整列。

一番うしろの子の肩に私が手を置いてみせると、子どもたちが笑う。

そのあと各教室へ。この学校は部屋が二つしかないので、ひとクラスはとなりの民家の部屋でやる。学校をはさんだ反対側のもうひとつの民家の屋上で朝礼を開くこともある。

この地の人たちは、あまり「自分のプライバシー」というものを気にしない。部屋が空いていれば子供たちの教室としてごく自然に提供する。もちろん無償、と語るのも野暮なくらい自然に。

夜は、一部の村の青年たちは学校の教室で寝る。ラケシュの家族は、それまで椅子かわりにしていた簡易ベッド(ベンチと呼ぶ)にそのままころんと横になってみなで寝る。男も女もないし、世代も関係ない。そして明るくなるとぽつぽつと起きだして(目覚まし時計がない)、いつの間にか、いつもの朝が始まっている。

みなよく喋るし、仲がよい。近所のみながひと家族の観がある。話のネタを見つけてはけらけらと笑いあっている。

ひとつ思うのは、彼らは、上手に生きるすべ・うまく関わることを自然に心得ているということだ。

朝礼の様子をみながら思ったこと――(子どもらが振り向いて私のほうをのぞいている(笑))。

この子たちは、今日この幸運を振り返ることがあるだろうか。この子たちは、とてつもなく精妙な幸運のなかにある。

十年前に、村の青年たちが小さな図書室を作った。それをさかのぼることさらに十年前、ワスという二十歳の青年がババサブ(アンベドカル博士)の著作『ブッダとそのダンマ』を読んでなにかを深く考え出し、まだ小学生だった弟のラケシュやその友ディパックを教育し始めた。

彼らが大きくなって意志を持ったとき、彼らは村に新しい何かを創り出そうと図書室を作った。

数年経って、ラケシュは、ブッダガヤへの道中で、道を探してインドに渡ってきた日本人(つまり私)と偶然出会った。

それから二年経って、彼らと僧となった日本人とは話し合って、仏教に基づく社会改善の活動をはじめようと、新しい組織をつくった。その第一弾として幼稚園をつくった。

それから3年半がたった今、今朝の朝礼には100人を越す子どもたちが並び、嬉々として先生にあいさつし、3歳の子供たちはよたよたとおぼつかない足取りで教室に入って、何も考えることなく先生の声に耳を傾けている。

そのやわらかな心は無垢のスポンジのようで、大人はけっして取り戻せない、“吸収”という名の才をあますところなく発揮しているように見える。この子たち以上の“可能性”は、大人は手に入れることはできないのかもしれない。

この子たちが受けている教育は、村の青年たちが考えるベストの教育である。3歳の子供たちが、月百ルピー(160円)という授業料で、これほど良質な教育を受けている。

子供たちは、村人たちの最良の善意によって今日一日を生きている。 「見えない翼」にささえられて、彼らは幸運の雲に乗っかっているように見えなくもない。

3年半前には“無”だったものである。今は100を越す可能性が生まれている。

始まったばかりの可能性。何一つ失われていない、ほぼ100%の可能性が、私の目の前に生きている。

“未来”はこうして作られていくのだろう。

未来の作り方を、人々はこの上なくよく知っている。ごく自然に分かっている。

よき未来の作り方を、日本に生きる私たちは知っているだろうか。未来への閉塞感は、未来のつくり方を忘れてしまった焦燥から来るのではないだろうか。

よき未来を作るには、ひとつは“無から始める”ことかもしれない。

未来を忘れた感のある人たちは、きっと出来合い(既成)の価値観やしきたりを前提にしすぎているのかもしれない。

無から始めることほど、心に素直に、よろこびを伴う、楽しい生き方はないのであろう。

私もこの流儀に従うことにしよう。


学校の記念祭

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