すばらしいとき


今回のインド訪問では、創立後5年目になる幼稚園がいよいよ新校舎に移って、そこで学んでいる子供たちの姿を見ることができました。

140人の子供たちが、我々が作った校舎で勉強しているのです。すばらしい光景でした。

昨年1月に訪れた時は、まだ土地を買う資金繰りに苦労していました。また幼稚園も政府の認可を得るのに40万円ほどの供託金が必要なため、資金調達のめどがたたず、閉鎖さざるをえなくなるかもという話をしていました。

しかし日本の教室に来るみなさんが入れてくれたカンパと、〇〇会長らが5月に残してくれた活動資金とで、土地を購入し、

台湾の篤実な仏教徒のご婦人が供託金全額のお布施をしてくれたため、幼稚園は無事認可を得ることができたのです。

私たちのNGO・GDIAが購入した敷地はちょうど幹線道路沿いにあって、今後その道路は二車線から四車線に拡幅されるとあって沿線の土地はぐんぐん値上がりしています。もしタイミングを逃していれば、我々は土地を買うことができなかったおそれがかなりあります。

今こうして一四〇人の子供たちが、広い敷地で駆け回って遊び、レンガ造りの平屋の校舎で勉強できるのも、仏教を通じてのインドと日本との縁が育っていたからです。不思議な因縁のはたらきであろうと思います。

もし2006年当時のウダサの人たちとの出会いがなければ、

志を同じくする青年たちがこの地に育っていなかったら、

私が日本に戻って小さな活動を始めていなかったら、
 

〇〇〇〇の〇〇会長の新聞記事をどこかで拾っていなかったら(新聞を買って読んでいたのではなく拾ってたまたま記事を見つけてとっておいたのです)、

震災後に台湾の仏教徒の人たちと出会っていなかったら、

この村の子どもたちの今日一日は存在していなかったはずです。

子供たちの眼に、この場所はどう映っているか。朝大きなカバンを背負って野原を歩いてきて、学校で友だちと出会い、スタッフの青年に鍵を開けてもらって黒板のある教室に入る。


日本人の坊さんである私に「ドラえもん描いて」とせがんだり、「よーいドンやって!」(かけっこの合図)と頼んできたり。しかも叫び声に近い大声で訴えてくる子どもたちには、たとえば台湾のあの女性の存在は想像もつかないだろうけれど、そんな目に見えない因縁によって、今日の子供たちの一日がある。

なんとも巡り合わせというのは深いものだと思います。

GDIAの幼稚園は、政府の認可も受けて、人びとの認知度もぐんと高まったとか。

そして〇〇〇の浄水供給プロジェクトも、ウダサだけでなく、近隣のシルシという町でもスタートしそう。

何より今回探し当てたのは、マハーシュトラ州の辺境にあるナンデッドという区域の深刻なフッ素汚染。ここは汚染の度が過ぎて、クル病にかかる人が続出している土地。(YouTubeでFLUOROSIS NANDEDで検索すれば映像が見られます。 )

こういう土地にこそ〇〇〇による浄水を供給しなければ。次回はなんとかウダサから二百キロ離れたこの地にGDIAが入って、浄水装置を設置しよう。


この地にはいろんな可能性が育っている。これからもっと芽を吹くだろう。

こういう善意の芽を吹かせるのは、結局は、そういう心があるかどうかで決まる。つくづくそう思う。

善いことを心がける心があれば、それが不思議にも縁となって結実して、いろんなカタチの花を開かせる。

芽が開くのは、土や光そして酸素があるから。命の力が世界に満ちているから。

この村での活動のように、美しく善き芽が生えるのは、善意があるからだ。

この村には、純粋な善意があるのである。

こういう善意を分かち合える同士というのは、ほんとうに一生に一度あれば幸いというくらいの「僥倖(偶然の幸せ)」であるだろう。

私の人生はラッキーだ。


善意を形あるものへと創り出すことができているから。


2014年4月4日